かつてなくしたイヤホンたちへ-2022/11/28の日記

ここ数日人に読まれることを意識して日記を書いていたが、全然楽しくないのでやーめた。この日記はタイトルから最後の1文字までただ私のためだけに、推敲なんかカケラもせずに勢いだけで書くものだ。それでいいのだ。

 

今日は川沿いを流れに逆らって歩くはずだったが、目的地を郊外のイオンに設定したためにそこへ向かって歩いてしまった。「自由気まま適当に歩きたいほうへ足を進める」という、私の思う散歩の最高峰への道のりはあまりにも遠い。目的地への最短ルートを、次の曲がる場所を気にしながら歩くなんてまったく散ってないじゃないか。なんだ、散歩って。なにが散ってるっていうんだよなにが!!! ただ歩くよりタップダンスの方が絶対に「散っている歩み」だろうに。

 

今日、またひとつワイヤレスイヤホンをなくした。

ワイヤレスイヤホンってのはとても便利で、各機器へ接続するために有線を必要としないために、リュックや腕にコードが絡まって「ンンンァァァァアアア!!!!!!!!!!!!」となることがない、大変素敵なモノである。その代わりにケース、左右のイヤホンの3つの部品(部品?)が、とても小さい。友人は「チワワはあまりにも小さくて踏んでしまいそうな気がして怖くて飼えない」と言っていたが、そのチワワよりも当然小さい。この間道端に落ちていたAirPodsを踏んでしまい、慌てて拾って交番に届けた。持ち主がかわいそうだ。

 

私はなくしもの女王の名をほしいままにしてきたので、ワイヤレスイヤホンをなくすなんてチョチョイのチョイである。交番に届けたAirPodsなんて、ひとセット3万円ほどするらしい。そんな高価なモノを落としたとなれば、1週間は落ち込む。それ以降もきっと電器屋AirPodsを見るたびに「ああ、あの時......」と落ち込む。そんなの耐えられない!

だからいつもダイソーの、1100円で売っているワイヤレスイヤホンを使っている。もはやなくすことを前提に買っているので、なくならない期間が長い方が驚く。今回なくしたのは2週間ほど前に買ったばかりだったのでさすがに「さすがに!!!」と思ったものの、落ち込みはしなかった。今までにおそらく10個以上のダイソーワイヤレスイヤホンをなくしている。合計1万円。1万円か......1万円あったら......1万円のイヤホンが買えた。しかし1万円のイヤホンは一回しかなくすことができない。私はなくす権利に毎回お金を払っているのかもしれない。

どんなに無駄なことを愛しているとはいえ、別に面白くない、ただ自分のミスによって発生した無駄はただの無駄なのよ。

 

明日もまた1100円のイヤホンを買って、2ヶ月くらいでなくすんだろう。侘しいな。